当時、お金がないことから車やバイクがなかったので練馬区から築地市場まで自転車で仕入にいっておりました。今と違って道路は舗装されていない砂利道のデコボコ道でなんどもひっくり返りながら毎日往復していたそうです。遠い道のりなので、どれほど時間がかかっていたかは今となっては不明です。
愛くるしいキャラクターと真面目な性格からお客様に好かれ、1940年にお客様や親戚の助力もあり、小美濃伊三郎は魚屋として「魚伊三」を創業しました。
この時の口癖は「お客様は神様」です。商売繁盛の秘訣は、お客様を神様のように崇め感謝すること、またお客様に理屈を言ってはいけない、ということを肝に銘じておりました。
経済の発展と共に魚屋を主軸とすることにリスクを感じ、先を見据えて業態転換を考え始め、
1967年に魚の店頭販売部門を縮小し、仕出し料理部門7割、昼用給食弁当部門3割の構成で営業方法を変更しました。1970年頃より結婚式場が流行り始め、区が経営する式場と提携して料理の受注を承るようになりました。
1972年に当時では珍しい冠婚葬祭料理仕出し専門店としてリニューアルオープンしました。
都内では1・2番目の早さで専門店を開業しました。仕出し専門店として、お寺や葬儀社さんへ積極的に営業をはじめました。
そうした事から、葬儀案件も入ってくるようになりました。当時の葬儀と言えば、皆で料理を持ち寄り身内や親戚・近所の方々が短期間で料理を準備する事から、とても大変な思いをしていました。特に料理に関する注文は難しく、決めるのに時間がかかっておりました。それを当店で一括して請け負えばお役にたてると思い、1979年に業界先駆けとして葬儀用のセットメニューを考案したところ、当時では珍しい事と需要がマッチして多くの注文を頂けるようになりました。
1989年に料理厨房工場を建設。
1996年に業界先駆けでホームページを開設。
2004年に衛生強化として食器洗浄工場を併設。同じ年にパーティのセットメニューを考案。
2011年にお客様相談室を新設。
2013年に東京事業経営者会より優良企業表彰を授与されました。
仕入れの変革
まぐろといえば、本まぐろが有名ですが味でいえばインド鮪が断然美味しいです。濃厚でねっとりとした脂が舌をうならせます。本マグロは色・味とバランスが良い商品ですので取り扱いやすいですが、インド鮪は色が変わりやすいというデメリットを持っています。その為、時間が経ってから食べる仕出し料理としては不向きでしたが長い研究の末、色変わりしないよう工夫を凝らしました。
「これを売っていれば食いっぱぐれる事はない」との仲卸の言葉を元に鮪をお客様に提供したところ、評判や口コミで多くのお客様に支持されました。
その結果、お客様からは「美味しいまぐろを食べたければ魚伊三へ」という口コミになり支持を受けることになりました。この時、小美濃伊三郎は美味しいものを売っていれば間違いないと確信しました。
また、まぐろの味に負けないよう煮物や焼魚にも工夫をこらし、仕出しという特製に対応できるよう商品開発に力を注いで参りました。
創業者の想い
創業者小美濃伊三郎は社員を家族として捉え、常に感謝の気持ちをもって接することを社風としました。朝礼は毎日行われ、「仲良く仕事をしなさい」と言い続けておりました。社員を楽しませるべく、旅行にいったり、店の敷地を利用してお祭りをしたり、仕事の忙しい思いも、楽しい思いも皆で共有してまいりました。
経営理念
『食を通じて世の中に貢献すること』
仕事とは世の中の役に立たなければなりません。私達は、ただの食ではなく美味しさを追求する事で人を感動させる仕事です。
お客様を感動させることでファンになっていただき、商売が成り立ちます。お客様より「美味しかった」と言ってもらえることが何よりの喜びです。
また、お客様への感謝だけでなくスタッフにも感謝します。美味しい料理を作ってくれてありがとう、料理を届けてくれてありがとう、店を円滑にサポートしてくれてありがとう、感謝力を高めることがこの時代を生き抜くだけでなく、人として成長する何よりも大事なことです。その連鎖が大きな力となって会社を成長させてくれます。感謝こそ人を豊かにするのです。